2024.8.19
里山は“集落の庭”だった?人と自然が共存する風景づくりのヒント

お庭と里山には人間の存在が必要
こちらの記事では、私たちの考える理想の庭について、また代表である中島の経歴や会社のことなどをお伝えしていきたいと思います。
今回は「お庭と里山の共通点」をテーマにお伝えします。
「人の手が加わった自然」であるお庭と里山
前回の記事では、人工と野生のバランスが取れているのが「自然に近い庭」だというお話をしました。それを踏まえて、今回は、山奥と人里の中間のような存在である里山について考えてみたいと思います。

昔から庭は「自然の良い部分を切り取って再現したもの」だと言われています。それに対して里山は、全くの手つかずのため木も生え放題で足場も悪い自然な空間を整えて、人里との境界線としてできあがってきたもの。このように人の手によって自然が適度に整理されてきたという点で、里山は「究極の庭」とも言えそうです。おそらく里山が人工と自然の緩衝地帯として集落全体の庭のような存在だったため、田舎には「それぞれの家に庭を作る」という習慣がなかったと思われます。

里山とお庭のどちらにも共通しているのは、「人の手が加わった自然」であるということ。矛盾しているようですが、自然に見えるようにするには、実際には人の手が欠かせません。お庭でも石がただ並べてあるように見えて、その向きや配置は緻密に計算されています。きれいな清流で有名な四万十川も、ある程度人間の手が入っています。人にとって美しく見えるナチュラルな景色を作るには、人の介在が必要なのです。
本テーマについて、境目研究家の安田さんと対談した記事はコチラです。
